学費軽減

2004年7月24日
《一瞬の平和/Moment’s Peace(OD)》かもしれないけど学費が多少軽減されることになりました。使える金少し増えて嬉しい。

それはさておき何だか昔話が流行っているようなので僕も参加しようと思います。僕の成長過程が見れると思います。そして僕の名前の由来も知ることになるでしょう。

初めは小6の頃でした。1997年この年に初めて僕はマジックに触れることとなった。学校でよくわかんないカードゲームをやってる奴が何人かいて聞いてみるとすげー面白いというので僕も友達を誘って買ってみることにしました。当時5版のスターターだったかな。もちろんルールなんて知らないからとりあえず5版のスターターについてたルールブックを読んでみる。・・・全くわからない。残念ながら小6であのルールブックを理解できるほど当時頭がよかったわけではないのですぐ飽きてしまいました。

それから時が過ぎ中2の終り頃。1999年世間は今では名の忘れられた預言者のことで持ちきりだってのにそんなの気にもせず僕は部活に励んでました。そんな部活のある日。部活が終わって友達と話をしていると昔話になりました。そこで出てきてしまったのです。マジックの名前が。このとき思えばそう、これは決して呼んではならない開けてはならないパンドラの箱だったのです。話は続き実は皆昔少しやってみたけど全然わかんなくて辞めたとのことでした。じゃあ今から皆でまた始めるか!ってことで始まったが最後。僕はそれ以来ダラダラと続けることになってしまうのでした。

初めは部活のない日友達の家に集まったりしてデュエルしてました。僕は独自昔からマジックをやっている人からやり方を教えてもらいある程度のルールを理解しました。実際ルールブックを見て覚えるよりデュエルしながら教えてもらった方が覚えやすいしね。この頃僕にマジックを教えてくれた人は僕のことをステイシスでいじめたりMOMAで瞬殺してくれたりネクロで痛めつけてくれたりとそれはもやりたい放題でした。単なる緑単ビートダウンが勝てるわけねえよバカ。それもこの頃にはコロコロの影響もあり割とまともなデッキだった気がします。《飛びかかるジャガー/Pouncing Jaguar(UZ)》や《怨恨/Rancor(UL)》などが入ったストンピィみたいなデッキだったから。

そして部活仲間ともマジックを続けていたんだけどその内一人があんまりお金かけたくないと言い出しました。確かに当時お小遣いも微々たるものだった僕らにはパックは高すぎたのです。そこで凄く画期的なアイディアを提案した奴がいました。

じゃあ俺がパック盗むからそれでやるべ。

何て子でしょう。この子は当時から手癖が悪かったのでこういったことはお手の物だったのです。ちなみにこいつ今では多分プーです。くまさんです。でもこのアイディアは素晴らしいものでした。実際バレても僕らには何の被害もありません。もしバレてあいつが捕まったら僕らはこう言おうぜみたいな感じで裏では口裏合わせとかしてました。そう、彼は嫌われ者でもあったのです。皆嫌いだけど利益をもたらしてくれるから仕方なく付き合っていただけで、利益がなくなったら秒で切る予定でした。

そんな1パック100円で売ってもらったりタダで貰ったりする日々が続いたある日遂に彼はやってくれました。よくそいつがパックを盗っていた店は本屋で大してマジックのパックなんて売り上げなかったので放置状態。そこで彼は1ボックス丸ごとパクるという暴挙に出ました。途中焦りすぎて転んだりしてたけどとりあえず成功したらしく僕らはたくさんのパックやカードを手に入れました。当時マスクスが出た頃です。

しかしそんな日々も続くわけもなく流石に在庫が減ってることに気付いたのか店側は彼をマークし始めたようで。彼はあの本棚の影から警備員が見張ってるとかしきりに言っていました。そしてそのうちその本屋からマジックはなくってしまいました。それを皮切りに皆辞めていってしまいました。しかし僕にはマジックの楽しさが忘れられず続けていました。

そんなある日、塾で昔マジックをやってた人からコモンアンコモンなどまとめて100円とかで僕は売ってもらっていると『昔俺もやってた』って言ってきた人がいました。後に彼とは高1くらいまで交流が続きました。そうしているうちに少しずつまたマジックを始める人が出てきて4人くらいで集まってマジックをやることが多くなってきました。仲間内で一番強かった僕は大会に出ようと言って初めての大会に出ることにしました。出た大会はレジェンズ。札幌で3桁の人数が集まる大会なんて今じゃ考えられないけどあったのも事実。この大会は3−3−1でした。出たデッキは黒単で《恐怖/Terror(MRD)》や《抹殺/Expunge(UZ)》をはじめとした除去と《堕落/Corrupt(UZ)》、《のたうつウンパス/Thrashing Wumpus(MM)》、《ファイレクシアの疫病王/Phyrexian Plaguelord(UL)》などが入ったデッキでした。

その後僕はぎゃざを読むようになりトーナメントデッキというものを知りました。この頃もう少しでウルザブロックが落ちると聞いたのでウルザブロックの環境からあって次の環境でも生き残るデッキ・・・そうだリベリオンだ!ってことでリベリオンを作り始めました。しかし《神の怒り/Wrath of God(8ED)》や《十字軍/Crusade(6E)》、《ハルマゲドン/Armageddon(6E)》、《パララクスの波/Parallax Wave(NE)》といったカードを僕は持っていなかったので当時ミントにいた首領から大量にカードを買いました。初めて会ったときは結構シャークされたけどその頃には仲が良かったのでかなり安く売ってくれました。まあシャークされたのもパック盗んでた奴からまとめて2000円くらいで買ったカードの中ものだったからいいんだけど。《誤った指図/Misdirection(MM)》とか当時価値知らなかったし。《リシャーダの港/Rishadan Port(MM)》500円でパクってた奴から買ったものの強さがわからずすぐにトレードに出したりもしてたね。

その後もリベリオンを使い続けそのうちネザーゴーを使うようになりました。そして2001年の日本選手権に出ることになりました。きっかけはぎゃざについてたハガキ。わけもわからず大会ってことで出ました。使ったのは青白黒のネザーゴー。結構まともな構成でした。結果は4−4と負け越さなかったからいいやって感じでした。

しかしこの頃を境に僕はトーナメントシーンから姿を消すことになります(何かルーシーモノストーンみたいだなw)。部活が忙しかったから。それでも合間を縫ってミントには通い、マジックを続けました。思えばNEROとはこの頃からの付き合いなのでもうかれこれ5年は経つのかな。NEROは部活もやっていなくて暇人だったのでモリモリマジックを続けどんどんうまくなっていきました。ミントでデュエルとかしていると『いけー、皆nじゃない、いけー僕らの《ブラストダーム/Blastoderm(NE)》!』とセリフを噛んだり言い直したりしている様を見てそこまでしてそのセリフを言いたいのか・・・。あー、こいつは何てヲタクなんだろうと思ったりもしました。

大会にもたまには出ていてでも僕は変わったデッキが好きだったのでターボジョークルやバランシングアクトなどを愛用していました。あとはファンデッキ(トーメント出る前に黒単ビート作って出たとかwちなみに成績は1−5w)を作っては大会出たりしてました。もちろん原点割れ。そんな僕も今では1byeあるかないかくらいです。

続きは次回へ。

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